![]() |
回転草「タンブルウィード」 西部劇の決まった一つの風景として強い風に丸い枯れ草が転がっているのがあります。私も当然のように北米の植物だと思っていましたが何と北西部に入植の多かった東欧系ウクライナの人が持ち込んだ農作用種子の中にこの草の種子が混じりこんで1877年にサウスダゴダから繁殖が始まった外来の植物だったんですねえ。道理でクーパーの平原児の中でビル・コディの新婚の家の中にまで転がって入ってきてましたね。この草秋になり種子が熟れると茎がポキリと折れて転がり始める。転がることで種子を蒔いて行くようです。ネットで調べてみるとカンザスに観賞用として栽培しているファームがあり日本にも取り寄せ出来るようです。 |
| カスター将軍 ジョージ・アームストロング・カスターは1839年オハイオで生まれる1861年士官学校卒業、丁度南北戦争勃発の年である。最近見た映画では劣等生のように描かれておりましたが事実一般学習はまるでだめで34人中34番で卒業、しかし戦闘に必要な射撃、剣、乗馬、状況判断などは飛び抜けて成績がよかった。最初は砲弾着弾の監視の気球隊にいたが63年騎兵隊へ、バージニアで劣性の北軍騎兵の応援に駆けつけ敵を撃破、この功績でミシガン騎兵隊の隊長となり常に先頭に立ち戦った、そして23歳で准将となり第3騎兵隊の隊長となる、そして南軍騎兵隊の雄スチュアート将軍の500人の部隊に50人で対戦し勝利する。余談ですが士官学校は南部出身も多く映画では60数人が南部へ帰って行きました。その中の一人が隊長の部隊と戦った時は最前列で帽子を取り会釈をし戦いが始まったがここでも勝利、そしてリー将軍の降伏の現場にも立ち会い、南北戦争では本当の英雄であります。戦後は正規の陸軍中佐として勤務、対インディアン戦が始まると第7騎兵隊の隊長となりカンザスへこの時から鹿皮のコートを身につける。1876年6月テリー司令官の命により居留地から出たスー族を第7騎兵隊を率い追ったが酋長シッティングブル、クレイジー・ホースの策略にかかり、6月25日、2500対225の兵力差でリトル・ビッグ・ホーンにて、スー、シャイアンの連合軍に敗れ戦死する。戦いが始まる前にインディアンのスカウトが軍服を脱ぎインディアンの姿になり理由を聞くと自分は今日死ぬが、死ぬ時はインディアンとして死にたいという言葉に、インディアンのスカウト達は戦わなくてよいと命令する。この事からもかなりの劣性であったと思われる、そして映画のようにインディアンは馬で戦うのでは無く身を隠しながら近づき狙い撃った。低地にいたカスター隊は馬を殺しバリケードにして戦ったが戦いは1時間くらいで終わったようだ。カスターは頭と胸の二カ所に弾傷があったらしい。いろいろと批判も有るだろうが英雄の一人には間違いないと思います。映画では古くはエロール・フリン、そしてロバート・ショウが演じております。 |
|
| カラミティ・ジェーン 男装の西部女性ヒーロー「平原の女王」の異名を持つ。本名はマーサ・ジェーン・カナリーという。ガンマン、ワイルド・ビル・ヒコックの恋人と言われているが事実では無い。10歳代で両親を喪い鉄道労働者のキャンプ付き雑役婦兼娼婦となった。軍隊でも同様な生活であったらしい。遺言によりワイルド・ビル・ヒコックの隣に埋葬された。 |
|
| カーリー・ビル アリゾナの牛泥棒のボス。生い立ちは不明だが、真っ黒の髪が巻き毛だったことからカーリーと呼ばれていたようだ。本名はウイリアム・ブロシャス「グレハム」、トゥームストンに近いコチーズ郡チャールストンを住処としていた。トゥームストンの牛泥棒のボス、オールドマン・クラントンが死んだ後はその手下も一味にした。メンバーにはビリー・クレイボン、フランク・ステネル、客分としてジョニー・リンゴゥもいた。アープ一派と対抗するため時のシェリフ、T・ビーハンはカーリーと手を組み時には助手として一味を使った。OKコラルで一味がやられると彼はアープ兄弟に賞金を懸けて命を狙わせた。兄弟二人を闇討ちされたアープとメスカル・スプリングで対決アープのショットガンで撃たれて死亡。アープにはウェルス・ファーゴ社から1000$の賞金が出された。 |
|
![]() |
カーリー・ビル・スピン 映画「トゥームストン」「ワイアット・アープ」の敵役カーリー・ビルがこの2作で見せる卑怯な銃の撃ち方、「銃を渡すんだ」で相手に銃杷を向けて差し出し油断したところで突然銃を回転させ相手を撃つ方法です。 |
![]() |
ガン・スミス 昔のテレビ西部劇「ララミー牧場」の長男を演じていた役者ジョン・スミスは名を覚えてもらうため最も多い姓名を芸名にしたそうです、日本ならさしずめ鈴木太郎さんですかね、この多い姓になぞって「鉄砲屋のスミス」というようなことで銃職人のことをこう呼ぶようです。ジョン、ウエインの「エルドラド」の中で射撃の下手なジェームス・カーンのためにガン・スミスに立ち寄り切り詰めたショットガンを買い求める場面がありましたね。 |
| 騎兵隊「US・キャヴァリー」の歴史 騎兵隊の始まりは独立戦争まで遡る。イギリス軍に習って戦時中に竜騎兵連隊「ドラグーン」を4連隊作ったことから始まる。独立戦争が終結すると必要が無くなり解散、名前だけが残ったがフロンティアラインが西に向かうにつれ対インディアン戦が多発、1833年6個中隊の騎兵隊が作られ第一竜騎兵隊となる。1936年には第二竜騎兵隊が作られた。この隊が開拓者たちを守ったのだがイギリスの模倣の制服なので派手な上に活動しにくく大変だったようだ。1846年に竜騎兵に続いて騎兵銃隊「マウンテッド・ライフルマン」が作られ1855年には第一、第二騎兵隊「キャヴァリー」が作られた。いかにインディアンとのトラブルが多かったかがわかる話ですね。1861年南北戦争が始まる直前に第三騎兵隊が作られたが、南軍に将校、兵が多く参加したので各部隊が弱体化する。そこで政府は竜騎兵、騎兵銃隊、騎兵隊をまとめて騎兵隊「US・キャヴァリー」として第一から第六までの騎兵隊に再編成した。南北戦争中、その後戦争で弱体化した兵力をみてインディアンの蜂起が多くなり第七から第十の騎兵隊が新設された。第七はカスター指揮下でスウ族その他部族の連合軍に敗れた隊である。そして第九、第十騎兵隊は下士官以下は全員黒人の部隊である。ジェフリー・ハンター、ウディ・ストロードの「バファロー大隊」は確か第九騎兵隊の話であったと記憶しておるのですが。 |
|
![]() |
キット・カースン 毛皮猟師、スカウト、インディアン管理人、対インディアン戦の軍人として超一級の人物。本名クリストファ・カースン、ケンタッキーで生まれミズーリで育った。父を早く喪い学校も行かず働いたので字も満足に読めなかった。15歳の時にサンタフェ行きの馬車隊の一員として待望の西部入り。タオスで毛皮猟師の後カリフォルニア遠征隊に参加した。アラパホ族の娘を妻にしたが死別、残された娘をミズーリに連れ帰る途中フレモント中尉に出会う。中尉は西部の調査を計画中で彼にとっては最高の道案内人を得たわけである。42年から3回の調査旅行、フレモント中尉夫人がカースンのことを新聞に発表するや全国区の知名人となった。53年から7年間インディアン管理事務所長を見事に勤め上げ、62年からの対インディアン戦で活躍し義勇軍の大佐まで昇進した。特にナヴァホ族が平和になったのは彼の功績が大きかった。68年病死。昔TVで「キット・カースン」があったが内容は大違いだった。 |
![]() |
キッド・カリー ワイルド・バンチで最も凄かった男と言われている。鋭い目つき、黒の帽子、黒いシャツ、茶色のガンベルトと殺しのムードが溢れていた。本名はハーベイ・ローガン。彼が初めて手に入れた銃はミズーリの町で酔っ払いから盗んだ旧式のコルト・ネービーモデルだった。子供の時から流れ歩きワイオミングで悪名高いジョージ・フラット「ノーズ・カリー」に出会い彼の銃の上手さに心酔し「キッド・カリー」と名乗るようになった。ワイルド・バンチではサブ・リーダーだったがブッチ・キャシディ以外とは殆ど付き合わなかった。1901年ピンカートン社の探偵スペンスにテネシーで捕まったが脱獄、再びスペンスに追われる。1903年6月コロラドのグレンダル・スプリングで予定変更で郵便貨車の金庫は空だったが、この列車を5人組が襲った。追っ手は2日間追い続け夜通しの銃撃戦を展開。朝になり捕まったのは近所の男タップ・ダンカンという男だった。主犯キッド・カリーは逃げ去った。 |
![]() |
キャトル・ケイト 西部で唯一吊るし首にされた女性。トマス・ワトソンの長女としてカナダで生まれた。幼い時に父がカンザスに移住した。楽では無い移住開拓民の生活が嫌になった彼女は20歳前に家出する。後はネブラスカ、ワイオミングとダンホールの踊り子、酒場女、商売女とお決まりのコースをたどる。愛人の兵隊が本名エラを嫌ったためにケイト・マックスウェルと名前を変えた。当時のワイオミングは牛牧場と東欧からの移民してきた農民との対立があった「ジョンソン郡事件」。牛泥棒が横行していてケイトに共同経営を持ち込んだ男ジム・アベルもこの混乱を利用して牛泥棒を企む男だった。彼は教養もあり農民の味方をして人気を集めた。ジムの手下が盗んだ牛をケイトの烙印で売却。ケイトは牧畜業者キャトル・ケイトと呼ばれるようになったが世間の目は二人を疑い、ある日ケイトのコラルに他の牧場の烙印のある牛がいるのを発見され、6人の男に2人は捕まり人里離れた場所で吊るし首のリンチで死亡した1989年彼女は28歳だった。 |
![]() |
キング・フィッシャー テキサスの一流のガンマン。常にメキシコ風の服にソンブレロという粋な姿で腰には象牙の銃柄の二挺拳銃を下げていた。ケンタッキー生まれ、13歳でテキサスにやって来てカウボーイとなる。16歳で最初の殺人、メキシコに逃亡するが再びテキサスに戻りイーグル・パス中心に家畜泥棒を始める。子分の数は延べ100人を越えた。20人を殺した罪に問われたラレドの裁判所には武装した部下を引きつれ出頭無罪を確保する。そして自分の棲家の土地を横切る道に「キング・フィッシャー専用道、回り道せよ」の看板を上げた。恐れた人々は回り道をした。しかし再建されたレンジャースに仲間が次々と捕まりキングも捕まるが9ヶ月で出獄。その後何と友人のシェリフに請われ助手になり次の選挙では自身がシェリフに選ばれる。1887年31歳の時友人ベン・トンプスンとサン・アントニオの酒場で撃たれ死亡する。映画は2.001年「テキサス・シンジャース」 |
![]() |
クァントリル・ゲリラ部隊 ウイリアム・C・クァントリル「本名リチャード・クァントリル」もともとは学校の教師だが1860年不思議な事にカンサス州ローレンスで南軍ゲリラを組織、カンサス義勇軍に追われミヅーリにへ逃げ僅か8名になるが1863年再び勢力を増やし第一回のローレンス攻撃を行う。4時間に渡る猛攻で家屋200軒を焼き市民180名を殺傷した。このゲリラ部隊は戦中には最も活躍したゲリラ部隊だろう。ジェームズ兄弟、ヤンガー兄弟、ランドルフ郡出身のビル・アンダースンとそうそうたるメンバーである。クァントリルに一番狙われたのはカンサス義勇隊の勢力圏インディペンデンスとローレンスの町だった。そしてローレンスの町はもう一度襲われる。そして皮肉にもクァントリルが捕虜になったのはこのローレンスの町だった。この部隊が一番活躍したのはカンサスシティの南40マイルのローンジャックでの戦いだった。1862年8月15日北軍エモリィ・フォスター少佐は985名の兵と砲2門をもって南軍の再建計画を破壊する目的でこの村を占領しホテルに司令部を設けた。翌早朝にコックレル大佐の南軍部隊が奇襲をかけ5時間の戦闘の後、北軍の部隊を退却させた。この戦いでクァントリルの部隊は遊撃隊として大活躍した。クァントリル亡き後はコール・ヤンガー、ビル・アンダーソンの部隊に分かれていく。 |
| クリス・エバンス カリフォルニアで相棒ソンダグと共に列車強盗で名を上げた。ニュー・イングランドのヴァーモント生まれ。後にカナダに移るが家が貧しくカリフォルニアに働きに出た。そこで結婚、自分の農場も持ったが鉄道に土地を奪われ、次の家は火災で失い、再起せんとビサリアに移った時に此処で鉄道を首になった男ジョン・ソンダグと出会う。共に鉄道に恨みを持つ者同士なので鉄道を襲うことになった。彼らの特徴は決して客車を襲わず郵便貨車専門であった。初めてダイナマイトで扉を爆破する方法を始めた。最後は二人を追う探偵、保安官を逆に撃って傷つけシェラ山脈に逃げ込んだが、1893年6月保安官との射ち合いでソンダグが重傷3日後に死亡、彼も傷を負い捕まった。一度脱獄したが再び捕まり14年獄舎に繋がれたが釈放され3年後に死亡した。 |
|
![]() |
クリス・マドソン デンマーク生まれ、フランスの外人部隊に入隊アルジュリアに駐屯。25歳の時に渡米して軍隊へカンザスなどを転戦し1891年オクラホマで辞める。土地解放「グレイト・ラン」の後だったこの地で連邦保安官補の仕事を手に入れる。設備の整っていなかったこの地で責任を果たし、その後もオクラオマに流れ込む無法者を多数逮捕し、此処に逃げ込んできた15人を殺したテキサスの悪党レッド・オデムを逮捕してテキサスに送り返す。その後、妻を喪いキューバ戦争にラフ・ライダース「自由騎兵隊」で活躍、オクラホマへ帰り保安官をした後1944年92歳で没した。 |
![]() |
クレイ・アリソン ケンタッキー生まれ、南北戦争時は南軍のスパイとして活躍、捕まった時も見張りを殺して逃走した。北部嫌いは戦後も続き北部出身の保安官が多かったために何人かの保安官が彼の拳銃で倒れている。美男子で牧場を持った立派なカウボーイだった。なかなか面白い性格で虫歯を抜かれた時にあまりの激痛に治療後歯医者の歯を抜いてしまったり、テーブルに拳銃とコーヒーを置いての決闘した話が残っている。酒が好きで飲むと暴れたようである。アープやマスターソンと対決するためにダッジに行った記録もあるようだ。87年7月友人のために荷馬車を走らせている途中に馬車が跳ね、投げだされた時に首を骨折して死亡した。 |
![]() |
54連隊 写真は映画「グローリー」からですが南北戦争の時初めて出来た将校が白人、兵士が黒人の部隊です。この部隊に参加すると言う事は奴隷では無く兵士ということで多くの黒人がこの部隊に志願した。映画では1863年7月サウスカロライナの海岸のワーグナー砦に総攻撃をかけ玉砕に近い戦闘をする。 |
| コモドア・ペリー・オウエンス アリゾナの名シェリフとして名を残す。黄色い肩まで届くような長髪であった。射撃の腕は物凄く、その上2挺拳銃を銃杷を前向きにして抜く時は両手をクロスさせて抜いた。「映画、ゲーリー・クーパー平原児のヒコックがこのスタイル」生い立ちは不明だがペリーの名はイギリス海軍の名提督ペリーにあやかり付けられたらしい。酒も賭博もやらず、礼儀正しいので女性にもてたと言われている。当時未開のナバホ・スプリングに牧場を持ち一人でインディアンと戦い抜き「鉄の男」と呼ばれた。やがて町が出来てカウボーイと羊飼いの間での戦闘「プラザント・ウォー」が起き、是を終わらせたのが彼である。単身で立ち向かい最後にアンディ・クーパー達4人を逮捕に向かい射撃戦が始まり全員を倒した。これが最後の事件でこの地方に平和がやってきたが、この中の一人が16歳の少年であったことを悔やみシェリフを辞職、自慢の黄金の長髪も切ってしまい自分の牧場に帰り妻を娶って穏やかな生活をしたという。 |
|
中段右がコール上が姉、下の二人が兄弟 |
コール・ヤンガー兄弟 本名トマス・コールマン・ヤンガー弟ジム、ジョン、ボブと共にジェームス兄弟と史上最強のギャング団を結成。教養高く冷血、勇猛だった。ミズーリで生まれ南北戦争ではクァントリルの部隊で活躍したため北軍派のジョイ・ホーカスに家を焼かれ父が犠牲になった。このため北部への憎しみが倍増した。ここでもうひとつの資料の方もご紹介しておきます。父親ウイリアム・H・ヤンガー大佐はキャス郡ハリソンヴィルに牧場を持ちこれで成功し町にも店を持ち運送業も手がけていた。大佐は北部同調者だったがコールが姉と舞踏会に行ったときに北軍のウォリイ大尉が五月蠅く姉に絡んだので大喧嘩をやらかした。翌朝ウォリイは南部のスパイとの名目でコールを逮捕にやってきた。このためコールは逃亡しクァントリル・ゲリラ隊に身を投じた。こんなことで父コール大佐は南部同調者と思われ1862年7月2日にカンサスシテイからの帰途何者かに狙撃され落命、そしてハリスンヴィルの牧場も焼き討ちにあった。そんなことで戦後ジェームス兄弟と銀行、鉄道を襲う。ピンカートン探偵社にジョンが撃たれ死亡するが探偵2名も死んでいる。76年ノース・フィールドの銀行襲撃で罠に落ちたときに兄弟全員が負傷し逮捕された。ボブは獄中で死亡、ジムは25年の刑のあと自由になったが恋愛が原因で自殺。コールは終身刑だったが25年で自由になった。出所後、自叙伝「コール・ヤンガー物語」を書いて出版、そしてジェシーの兄フランクとワイルド・ウエスト・ショーに出演もした。1916年カンサスシティ南方の町リイス・サミッストで生涯を終えた。映画は「ロング・ライダーズ」「嵐を呼ぶ銃弾」 |
| ゴールド・ラッシュ 1848年カルフォルニアのヨハン・オーガスト・サターは使用人から用水路で見つけた金塊らしきものを受け取る。調査の結果紛れもない金であった。彼は幸運に酔ったが瞬く間に噂は広がり彼の領地は採掘者に襲われ破滅に導かれた。こうして翌年1849年にゴールド・ラッシュがはじまった「フォーティナイナーズ」10万人が殺到した。彼らは陸路。、船での南米回り、パナマ地峡を抜けてカルフォルニアに向かった。日本の漁師、中浜万次郎も参加しかなりの金塊を手に入れた。この後もネヴァダ、コロラド、アイダホ、モンタナと似たようなゴールド・ラッシュがあった。写真は1849年のカリフォルニアでの採掘写真。 |