| ダッジ・シティ カンザス州ダッジ・シティは1870年代半ばから西部の台風の目のような存在の町になった。サンタフェ鉄道の要衝の町であり鉄道が西へ伸び次の要衝の町が出来るまではこの町へテキサスからの牛の群れ、そしてバッファロー狩りの最盛期でもあり毛皮を持ち込むハンター、牛を運ぶカウボーイと気の荒い金を持った者達が集まりこの金をねらう賭博師、娼婦、町は繁栄の頂点では有ったが同時に無法の町でもあった。そのため優秀な保安官が必要であり、ワイアット・アープ、バット・マスターソン等が活躍した。西部劇の格好の舞台である。写真はこの町の一流ホテル「グレイト・ウエスタン・ホテル」です。賄い付きで1日1.5$、週8$であったらしい。 |
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タバコ 通常カウボーイは噛みタバコを「既製品」といって嫌い、自分だけのタバコを巻いて吸っていたようだ。もっとも有名な物は写真のブル・ダーラムのタバコでモスリンに入ったものが5セントで巻紙は無料だった。 |
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地下鉄道 逃亡奴隷を助ける秘密組織で初めは衣食を与えて北部への道を教えるぐらいであったが、次第に組織化された。組織の人間の家は〔駅〕移動の指揮官は〔車掌〕協力者は〔従業員〕という隠語が使われた。終着駅はオハイオ川を越えた北部そして連れ戻される心配のないカナダであった。小説〔アンクル・トムの小屋〕を書いたストー婦人も〔駅員〕としての経験があった。左の写真はハリエット・タブマン彼女は若い時に〔地下鉄道〕で北部への脱出に成功自分の成功だけに満足せず、その後南部に潜入し10年間に19回潜入し300人の奴隷を北部へ連れだしている。奴隷達からモーゼと呼ばれ尊敬された。 |
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チャールス・グッドナイト 1836年イリノイ生まれ9歳でテキサスに移住する。南北戦争が始まるとテキサス・レンジャースに入隊しコマンチと戦う。勇猛な彼は斑点のある上衣を常に愛用していたのでコマンチから「豹の上衣」と呼ばれ恐れられた。1866年オリバー・ルビングと組んでテキサスからニューメキシコのサムナー砦へ2.000頭の牛を運んだ。是が「グッドナイト・ルビング・トレイル」である。その後ジョン・チザムと組んで牛の売買をしたりテキサス有数のJA牧場の支配人となり10万頭の牛を管理した。カンザスヘのドライブのリーダー牛「ブルー・ヘッド」はこの牧場の牛だった。90歳で妻を失うが若い後妻をめとり93歳で没する。腕と度胸で生き抜いたカウボーイの手本となる快男児である。 |
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チェロキー・ビル 本名はクロフォード・ゴルドスビィ1876年テキサス州コンテヨ砦で兵士の子として生まれた。父はスウ族と白人、母は黒人、白人、チェロキー族の血が混ざる複雑さ。7歳で両親と別れ黒人女性にキブソン砦で育てられた。12歳で養母の子供と喧嘩をして殺してしまう、18歳で又も殺人帰られぬ悪の世界へ。その後オクラホマのクック・ギャングに参加し殺しの数を重ねボス、クックよりも高額な1300$の賞金が懸けられた。このため保安官からの追求も激しく保安官の手伝いをしている男の姪に惚れていたことを利用され、その娘マジーに会いに来たところをアイザック・ロジャース、クリント・スケルスの二人に捕らえられた。フォート・スミスに送られた彼は吊るし首好きの判事アイザック・パーカーに死刑宣告され一度は脱走を試みるが失敗、1896年3月に刑は執行された。 |
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テキサスレンジャー 1835年に創設され1873年にインディアンに対処する辺境大隊と盗賊、牛泥棒に対処する特別部隊に再編成された。1935年以後は公共安全部の一部となった、写真はバッジです。 |
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| デビィ・クロケット 映画『アラモ』のジョン・ウエイン古くはフェス・パーカーが有名ですが、ケンタッキー生まれの政治家、鹿皮の服を着て国会へ乗り込む。インディアン問題で衝突し失脚その後テキサスの独立戦争に仲間とともに参戦。アラモの砦で奮戦むなしく壮烈な戦死。{ケンタッキーの山男}の呼び名で開拓者のなかで、伝説的英雄として人気があった。左は「アラモ」のジョン・ウエイン |
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| デリンジャー拳銃 フィラデルフィアの銃工「H・デリンジャー」が発明パーカッション先込めの単発小型拳銃。もともと護身用として開発されたが持ち運びが便利なため至近距離からの暗殺用しても使われた。この銃の1丁がリンカン大統領を暗殺する。この後此の手の小型拳銃をすべてデリンジャーと呼ぶようになったのでこの銃はフィラデルフイア・デリンジャーと呼ばれる。 |
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テンガロンハット この帽子が西部特にカウボーイ達が愛用していたものです。名のもとは10ガロンの水が入ると言うことから付いた。実際つばが大きいので太陽から頭を守るためと思われます。もともとはイギリスから渡ってきたジョン・B・ステットソン「1830〜1906」がコロラドで金探しをしながら西部の男たちは何が必要かを学び、帽子職人の家の出の彼が1865年ペンシルベニア州フィラデルフィアに工場を開き製造した帽子が別名としてこう呼ばれるようになったようだ、彼の作った帽子は飛ぶように売れ億万長者となった。写真は要らなくなった手綱で作ったハットバンドが付いているステットソン帽 |
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| ドク・ホリデイ「1852〜1885」 1852年3月21日ジョージア州グリフィンの裕福な良家に生まれた。父親は南軍将校だった。バルティモアで歯科大学を卒業したエリートだが肺を患い当時の治療法、乾いた空気を吸う目的でテキサスに転地ダラスで歯科医を開業したのだが、怪しい咳をする歯科医にかかる者は少なく廃業。そしてギャンブラーの中に身を置くようになった。その命しらずの勇敢さとトラブルメーカーぶりとで有名になる。ジャクスボア、パンハンドル、デンバーと流れ歩きワイアット。アープと行動を共にするようになったのはダッジシティでアープの危機を救い友人となってからである。無法者のようだが生涯OKコラルに至るまではせいぜい一人くらいの殺人があったくらいらしい。OKコラルではベルギー製の10ゲージのショットガンの銃身銃床を切り詰めたものを使ったらしい。そして不思議にもガンファイトでは無く1885年36歳でコロラド州グリンウッドスプリングのサナトリウムのベットの上で亡くなっているのである。墓は長らく解らなかったが1987年コロラド州グレンウッド・スプリングスで発見されている・ |
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ドナー隊の悲劇 幌馬車隊による西部移住の歴史の中で最も悲惨な事件である。当時西へ向かうにはジム・ブリッジャーの砦からオレゴン街道をたどり其処からカリフォルニア街道へ向かうのが常であった。ドナー隊の悲劇はブリッジャー砦から開拓したヘイスティング自身が幌馬車隊を案内してカリフォルニアに現在処女旅行中という近道を取ったことだった。ヘイスティング隊は灼熱の塩砂漠、ロッキー、シエラネバダの峻険を越え何とか突破した。1864年8月3日89人のドナー隊は出発。案内人も居ないドナー隊は灼熱地獄を突破した後10月23日シエラの岩山にたどり着いた。ところが例年よりも1ヶ月も早い吹雪に襲われた。積荷の多くは砂漠に捨てられたうえ、此処で壊れた馬車も捨てシェラ越えの峠を探したが、積雪と険路のため分水嶺を目前に前進を断念急ごしらえの避難所を作り越冬した。持っていた食料は底をつき、猟と言っても出来るわけも無く、家畜、飼犬、続いて馬車に付いている革製品、その後は凍死者の肉、そして隊に居た2人のインディアンが射殺され食料となった。翌年2月カリフォルニアのジョン・サターがサター砦から大掛かりな捜索隊を出した。ドナー隊の生存者は半数の45人だった。救助隊はそのあまりの光景に眼を覆った。生存者の女性から聞いたというサターが残した言葉「白人よりインディアンの肉が好まれた。一番美味しいのは心臓と肝臓だった」・・・・・・・・・ |
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トム・スミス カウボーイ相手のカンザスの牛の町で1970年に現れた名保安官、彼の後任としてビル・ヒコック、ワイアット・アープがこの町の保安官になる。彼の拳銃を使わず鉄拳で倒して逮捕するやり方は彼の人格と共に高く評価された。ニューヨーク生まれでこの町の警官を経験後西部入り。ワイオミング州ベア・リバーで保安官になり、アビリーンで保安官を求めていると聞き月150$で引き受けた。この新しい保安官に最初にノック・アウトされたのはビック・ハンク、次に挑んだ暴れん坊ワイオミング・フランクもノック・アウトされ、無法者は大人しくなった。その後連邦保安官になり町の外でも逮捕権を持った。他の町のシェリフの指示を聞かぬマッコーネルの逮捕に向かったがライフルの狙撃を受け傷つく、それでも戦ったが死んでしまう。勇敢で有能な保安官を失ったアビリーンは2日後に葬儀を行い彼の死を惜しんだ。1904年記念碑が立てられた。碑文は「無秩序のカウボーイ達のなかで法を築いた恐れを知らぬ英雄」だった。 |
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トム・ホーン ミズーリ生まれ。14歳の時に家を出る、アリゾナでアパッチ居留地の軍隊で働く。スカウト頭アル・シバーに可愛がられアパッチの言葉、習慣、スペイン語などを教えられる。友好的な酋長ペトロにも紹介される。ジェロニモが暴れだすと若い彼も月給100$で雇われシバーと共にジェロニモを追う。シバーが病に倒れてからは彼がスカウト頭になったがジェロニモが大人しくなると共に彼は首になる。保安官補をやった後はピンカートン探偵社に入社するが是も5年後に首。次に始めたのが牧畜監視業、賞金600$で牛泥棒を殺した。やがてキューバの戦いに参戦。帰国後再び元の仕事に戻ったがララミー平原での牛飼いと羊飼いの紛争で彼は羊飼いの14歳の少年を射殺してしまった。牛飼いから守られたが結局死刑になってしまった。映画は「廃墟の群盗」「トム・ホーン」スティーブ・マックィーンがある。 |
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