カウボーイとキャトル・ドライブ     


左は当時のトレイル・ボスの一人です。隙の無い身のこなし、鋭い眼光、もう何度も修羅場をくぐったベテランなんでしょうね。「双眼鏡」「ライフル」腰には「S・&・W・リヴォルバー」サドルの後ろには外套を括りつけ完璧な姿ですね。こんなボスに率いられ、春に集められた子牛たちに烙印を押す作業から始まり、テキサスから鉄道が来ているカンザスへ最初は「アビリーン」此処はアイゼンハワー元大統領の故郷だと聞いている。鉄道が西へ延びるにしたがって「ウイチタ」、「ドッジ・シティ」へと牛の積み出し駅は移っていく。牛の群れの先頭はトレイル・ボス、牛の持ち主も多かったが「ローハイド」のフェイバーさん、のように雇われたリーダーもいた。先頭を行く牛も此処のトレイルを走破したことのあるベテランの牛を歩かせる「ブルー・ヘッド」などが有名。そして左右にポイントマンと呼ばれたベテランカウボーイが付く。「ロディ」がそうであったのかな。中ほどには左右にスイングマンその後ろにやはり左右にフランクマンが付く。そしと最後尾に、ドラッグマン2名がいて遅れた牛を追い、逸れた牛を追いかける。それ以外に新米のカウボーイが多い、予備の馬レミューダを管理するラングラー。来月のNHK・BSが楽しみだ。後は牛の両側に人を配し群れの大きさによりカウボーイの数も変わったようだ。そして料理用馬車「チャック・ワゴン」が付く。人数が多ければ助手も付くようだ。「ローハイド」ではマッシーか。「ローハイド」ではここに、スカウト、ピート「シェブ・ウーリー」が居りましたね。コックの重要性からカウボーイよりも給料は高かった。ジョン・ウエイン「11人のカウボーイ」では倍だったと記憶する。そして夜は見張りをするか野営を続けてカンザスヘ。時代、時代に良い映画が沢山あるので嬉しいですね。「赤い河」「カウボーイ」「ガン・ファイター」TVでは「ローハイド」私のバイブル「ロンサム・ダブ」。これがほんまに「西部劇」の醍醐味と男のロマンでんなあ。
        チャールス・グッドナイト
1836年イリノイ生まれ9歳でテキサスに移住する。南北戦争が始まるとテキサス・レンジャースに入隊しコマンチと戦う。勇猛な彼は斑点のある上衣を常に愛用していたのでコマンチから「豹の上衣」と呼ばれ恐れられた。1866年オリバー・ルビングと組んでテキサスからニューメキシコのサムナー砦へ2.000頭の牛を運んだ。是が「グッドナイト・ラビング・トレイル」である。その後リンカーン郡の争いにも登場するニューメキシコのペコス川流域の大牧場主ジョン・チザムと組んで牛の売買をしたりテキサス有数のJA牧場の支配人となり10万頭の牛を管理した。カンザスヘのドライブのリーダー牛「ブルー・ヘッド」はこの牧場の牛だった。90歳で妻を失うが若い後妻をめとり93歳で没する。腕と度胸で生き抜いたカウボーイの手本となる快男児である。
         ジェッシー・チザム
「1806〜1868」混血の交易商人、南北戦争中にテキサスからカンザスへの牛の供給ルート「チザム・トレイル」を開いた、このルートが後にアビリーンへのルートとなる。ジョン・ウエインの「赤い河」がこのルートを最初に踏破する10.000頭の牛を運ぶ映画ですね。別の資料によると1877年にルートが開かれたとあるがこの場合彼はもう死んでいるいるわけです。そしてその資料にはジョン・チゾルムとなっておりました。
                       キャトル・ドライブ
東部の都市では牛肉に飢え、西部テキサスでは南北戦争の影響もあり1520年に入ったスペイン牛の子孫ロングホーンが500万頭も野生で生活していた。鉄道が西部とシカゴの精肉業者を結んだ時に空前の牛追いの旅「キャトル・ドライブ」が始まった。牧場は北へ北へと出来ていきワイオミング、モンタナ、南北ダコタと広がり1880年代の終わりには鉄道がテキサス南部まで開通キャトル・ドライブは終わった。映画ではジョン・ウエインの「赤い河」はチザム街道を通ってアビリーンまでの旅でしたね、その他TVの人気シリーズ「ローハイド」私の大好きな「ロンサム・ダブ」はなんとテキサスからモンタナまでの牛追いの旅でした。資料によれば2500頭でカウボーイの人数は15人程度であったようだ。牛のあげる砂埃に耐えながら特に最後尾を固める「ドラッグ・ライダー」は大変なことだったようだ。2500頭が通常の群れで進むと1.5kmもの長さになったという。
チャック・ワゴン「カウボーイの食事」
1865年ごろロング・ドライブ「キャトル・ドライブ」のために発明された炊事用馬車の事。ワゴンの後ろを扉を開き一本脚で支えると調理台に早変わりし、コックが料理を出来るようになっていた。箱の引き出しには調味料その他が入るようになっていた。映画「赤い河」では砂糖好きのカウボーイが砂糖を盗もうとして音をたてスタンピードが始まりましたね。テレビの「ローハイド」でも若きロディ「クリント・イーストウッド」が「ウィシュボンさん」と何時もやってきていた馬車です。一説では上記の牧畜王「チャールズ・ク゜ッドナイト」が1866年に開発したそうだ。写真はカウボーイに一番愛されたコーヒー豆「アーバックル」、箱の中に1ポンド入りの袋が100個、麻袋の中に詰まっていた。コーヒー豆は使うたびに挽かれブラックで飲まれていたようだ。食事は普通2食でトウモロコシパン、ビスケット、豆類、うずら豆ササゲ豆等は好まれ、インゲン豆、白インゲン豆は好まれなかったという。当然乾燥豆なので前夜水につけておき煮たようだ。ベーコン、ポテト、干しリンゴ、干しプルーン、道中、野生の動物が住む地区では七面鳥、鹿科の一種、アンテロープなどを狩りステーキにした。弱った牛も殺されて食卓に上った。心臓、睾丸、舌、肝臓、脳髄、を刻んで煮込んだソノファビッチ・シチュー「ブラジルの名物料理、元々奴隷達が食べていたというドグラジーニャのようなものか?」などだった。料理人は時折アップル・パイ、プディングも作ってやったようだ。その他ブラックコーヒーにウイスキーを垂らしたものなども機嫌がよければ振舞ったようだ。料理人はそのうえ若いカウボーイの人生の先生役、怪我の手当てと大変だったようである。この辺りは先ほどNHK・BSで再放送された「ローハイド」のウィッシュボンの生活を見て頂ければよく解る事でしょう。
カウボーイ
西部劇映画にとって欠かせない人たち。1860年後半から1880年後半までが彼らの一番活躍した時代である。ニューメキシコ、テキサスが彼らの職場であった。南北戦争が終わり東部では肉の値が高騰ところがテキサスなどにはロングホーンと呼ばれる牛が300万頭ほど飼育されていた。そしてテキサスでは3,4ドルの牛がシカゴに通じる鉄道の駅のある町まで運ぶと10倍の値がついた。そこでロング・ドライブというテキサスからカンザスやミズリーの町までの牛の群の移動が始まった。映画ではジョン・ウエインの『赤い河』がこのとうりの映画であります。カウボーイ達は町に着くと長旅をいやすため酒、女、博打と大騒ぎになりここに保安官の活躍の場所を提供します。後半には5人に1人くらいで黒人のカウボーイもいたみたいで最前列の立っている彼は黒人です。
カウボーイ2
五人に一人の中の黒人カウボーイの中で一番有名なのは左の写真のナット・ラブ「1854〜1921」だろう、彼は牛追い、ロディオ、戦い、射撃とどれをとっても名手だった、このころの話を1907年に小説よりも面白い自伝として本にした、この話をもとに作家エドワード・L・ホイーラーが1880年代のヒーロー「デッドウット・ディック」を世に送り出した
ガラガラ蛇と蠍
テキサスからのキャトル・ドライブでカウボーイたちはこの二種の毒をもつ生物に悩まされた。どちらも夜のキャンプで襲われることが多かった。蛇は毛布の中、蠍は翌朝ブーツの中を念入りに調べた。どちらも通常は健康な大人を殺すほどの毒は無かったようだが、特に蛇の噛傷は酷く、大概は傷口を感染症から防ぐため焼いていたという。
スタンピード「牛の暴走」
牛泥棒との対決、うしの大群の渡河、インディアン「インディアンの場合は案外と取り決めが出来ていて1頭幾らという金銭的解決と、牛という現物で解決されていたようだ。」しかしロンサム・ダブでは善意で、盲目のインディアン少女を助けようとした黒人カウボーイの腹に刺さる槍の場面は何時見ても涙が出てしまいます。だが矢張り一番怖かったのはスタンピードだろう。是は人が死ぬ、牛が減る、と最低なものだったんでしょうね。落雷、カウボーイのくしゃみの音、マッチの火などで暴走した。キャトル・ドライブのスタンピードでは映画でも誰か被害者が必ず出てしまいますよねえ。「ローハイド」の製作者チャールズ・M・ウォーレンが手に入れ参考にしたというトレイル・ボス「ジョージ・ダフィールド」のメモ程度の日記の一部を書いておきます。彼はアイオワ州オータムワへ南テキサスから1000頭の牛の群れを運んだ。いきなりだが「5月1日、大スタンピード、200頭逃げ去る。」「5月2日3日と牛を探す二日で48頭見つけ出す。その間ズット雨だった。」「5月8日やっと出発、まだ雨は降り続き1日15マイルがやっとだった。」「5月9日まだ暗く、河はあふれる、何もかもがうっとうしい、憂鬱だ。」「5月14日渡河、馬車から食料品、食器が流されてしまう。」「5月15日雨で何も出来ない出発準備をするが牛が1頭も居なくなった。」「5月16日牛を捜す。食料も無く牛も200頭足りない。」「5月17日朝食抜きで河に全員で悪口を言いながら出発。」「5月31日レッド・リバー到着、渡河一日がかりだ。この日カウボーイが一人溺れた。」「6月1日昨夜6グループの群れがスタンピード、牛探しで皆疲れている。此処から出て行きたい者も出てきている。」「6月2日風雨激しく牛が走り私は一晩馬の上で過ごした。午後4時に140マイル離れたところへ、インテ゜ィアンのスカウトの案内で195頭の牛とインディアンと対決しているカウボーイ全員に出会う。もう60時間は何も食べていない。」「6月27日アーカンソー河を渡河。」とこんな風に何度もスタンピード、インディアンとのトラブルを解決しながらオータムワに到着したのは10月31日だった。残っていた牛は500頭ほどだった。こんな日記から「ローハイド」のシナリオは書かれていたんですねえ。