雑 記 帳

  


    10西部の十戒「Ten Commandments of Old West」The Badman of the West 「George D・Hendricks著の一節」


西部劇の時代には色々な約束事があります。これは苦しいヨーロッパ各地から移住し西を目指す過程の中にフロンティアの人々がわが身の体験から出来ていった約束事です。「西部劇入門」に小林久三氏が「西部劇ア・ラ・カルト」のなかで十戒として書かれております。私が最初に浮かぶのはシェーンの冒頭、腹を空かした南軍崩れらしい見知らぬシェーンを食事へ誘う農夫ヴァン・ヘフリンの姿が浮かびます。今の時代ではこんなことがおきるでしょうかねえ。このように無法の西部の町にも守らなければならない不文律がありました。
十戒の一      人の過去を探りすぎてはならぬ「Thou shalt not appear too inquisitive about one's past」
西部の人の多くは暗い悲愁に満ちた過去をもったものが多い。したがって根掘り葉掘り人の素性や経歴を聞くことは固いタブーだった。
過去は駅馬車強盗だった者が流れた町で腕を買われ保安官になっているようなことも多かった。
十戒の      見知らぬ者をよくもてなせ「Thou shalt be hospitable to strangers」
西部人は隣人だけではなく通りがかりの旅行者にも実に親切である。危険な異郷にあって同胞愛、相互扶助の精神が身に付いたのであろう。ニューメキシコの大牧場主チザムの家でもてなされた英国人旅行者が出立の日どうしても金を払うというと高額な金を求められた英国人は今度は高すぎると文句を言ったのだが拳銃を突きつけられて渋々払った。チザムはその金で暖炉から火を移し悠々とパイプの煙草に火を点けたという。
十戒の三      敵に戦う機会を与えよ「Thou shalt give thine enemy a fighting chance」
相手に機会を与えずに不意打ちをくらわすことは「殺人」として軽蔑されるばかりか、民衆の怒りを買って絞首されることもあった。
十戒の四      武器無きものは撃つなかれ「Thou shalt not shoot an unarmed man」
非武装の相手を撃つことは最も軽蔑され、コロラド州で起こった事件では14歳の羊飼いの少年と若いカウボーイとの間でガンファイトを始めた。やがてカウボーイが「待て、俺の銃は空だ」と叫んだ羊飼いの少年は「よし弾丸を込めるまで待ってやると」と答えた。弾丸を込め終えたカウボーイは言った「判った俺の負けだ」といって馬にのり去っていった。見事な私好みの話ではありませんか。
十戒の五      汝、復讐を恐れよ「Thou shalt not make a threat without expecting dire consequences」
脅迫、侮辱、迫害などに対して徹底的に戦うのが西部人だった。ニュー・メキシコの暴れ者クレイ・アリソンはワシタの町で3人組みと喧嘩をし袋叩きに合わされた。傷の癒えた彼は西部を捜し歩き半年の間に全員を射殺した。戦後徹底的に北部に復讐したジェシー・ジェームズなども此処に入る人かも知れませんねえ。
十戒の六      忘恩の徒となるなかれ「Thou shalt not practice ingratitude」
名保安官ビル・ティルマンは凶賊ビル・ドゥリンを追って彼の隠れ家に入った。中ではドゥリンが数人の手下と共に潜んでいた。「しまった」と思ったティルマンは何気ない素振りで小屋を出ようとしたときに手下のレッド・バックがティルマンの背中を撃とうとした時に止め「あいつは後ろから撃つには出来すぎた男だ」、噂はいつかティルマンの耳に入った。後にティルマンがドゥリンを追い詰めたとき彼は銃を使わず素手で戦った保安官があえぎながら「ビル、俺にお前を殺させるようなことをするな」と言った。このことばを聞いたドゥリンは静かに縛についた。
十戒の七       仲間を裏切るなかれ「Thou shalt defend thyself whenever self-defense is necessary」
西部の悪漢達は仲間に対する信義を何よりも重く見た。裏切りは速やかな死を持って報いられた。コフィビルでのダルトン兄弟のエメットの行為はその著しい例のひとつである。銀行強盗に失敗した兄弟一味は全滅負傷しながらも脱出したエメットは兄グラッドが撃たれて落馬したのを見て馬首を返し助けに戻ったが自分も撃たれ自警団に捕らえられた。
十戒の八       汝、盗むなかれ「Thou shalt noy rob」
西部人は隣人愛に燃えていたが、一面、自己防衛にはきわめて敏感だった。賊の現行犯はただちに射殺して差し支えなかった。特に馬泥棒は刑が重く捕まり次第絞首刑は免れなかった。
十戒の九       女性を崇めよ「Thou shalt honor and revere all womankind; ay,shalt thou never think of harming one hair of a woman」
女性は西部ではその希少価値から大変大切にされた。特に高名な西部人の三分の二は南部出身であり南部の騎士道、紳士のたしなみが尊重されていたこともあったようだ。「駅馬車」の南部の名家の成れの果てのような賭博師ジョン・キャラダインの身重の将校夫人に対する尊敬と礼儀は今も鮮やかに浮かびますねえ。
十戒の十       信ぜよ、ただ信ぜよ「Thou shalt look out for thine own」
文化の遅れた西部では迷信が横行した。ワイルド・ビル、カスター、バファロー・ビル、ビリー・ザ・キッドなどの長髪はもともと「髪の長い男はインディアンが襲わない」という迷信からでたものという。またブーツを履いたまま死ぬことも地獄に落ちるというものもありOKコラルでのビリー・クラントンが死ぬ前に「ブーツを脱がしてくれ」と言った話は有名らしい。このほかいろいろとあるようだが、こと迷信に関してはインディアンと大差がなかったようだ

    TEN  COMMANDMENTS
The "ten commandments" of the old west, summed up, were as follows;
  1〜10
This was just as unwritten as the constitution of England, yet just as binding and just as effective.
It was the unwriting law of the western frontier, and the pioneers understood it quite planty and they
appreciated it-and what is more, they enforced it!

     9      お知らせ


1960年頃TVではアメリカの青春もの、西部劇が花盛りだった。この後にあの小粋で色っぽかったフランス映画は衰退、西部劇もあの悍しいイタリア製に変わってしまうとは思いもせず、私はTVと映画館に夢中の高校生でした。特に西部劇はGUNブームも起こりとりわけ盛況でした。当時の洋画月刊誌「スクリーン」「映画の友」も西部劇特集誌を出すなどしており、淀川長冶さん、小森和子さんなどが編集をされておりました。そして岡俊雄編の西部劇入門書「西部劇入門」、数年後に「西部劇の世界」が出版されました。当時私の場合は大阪でしたので小森さんの「ウエスタンクラブ」に入っておりました。そんなことで当時新しく出来た洋画封切館「スカラ座」のこけら落とし「ガンファイター」の上演前に、屋上で行われたレセプションに出る機会があり「坂本九」「ジェリー藤尾」さんと初めて身近に会えたり、丁度友人の父上がTV局の大道具の仕事をしておられ「ララミー牧場」のジェス・ハーパー「ロバート・フラー」の写真を撮ってきてもらったりと幸せ一杯でした。私の知識はこの頃に読んだ本からのものが大半です。現代の西部劇入門書「大いなる西部劇」の逢坂剛さん川本三郎さんも私と同年代なので、この時代に西部劇にはまられたのだろうと思っているのですが。この頃の特集誌、入門書に記事を書かれていた大先輩に最近お教えを願ううちに資料などもいただけることとなりました。そこでその先輩方の資料を使わせていただき、若い今から西部劇を鑑賞される方のためにホームページにご紹介していこうと思います。


    8      トム・セレック


いい西部劇を渇望する余り案外見逃ししている俳優がこの人ではと思います。何気なくビデオ屋さんで見つけた「ブラッディ・ガン」、西部男がオーストラリアに渡り活躍する物語ですがシャープス・ライフルの名人で西部であればインディアンに当たるオーストラリアの先住民アボジリニーの始末を牧場主からまかされやってきたのですが、結局牧場主に対抗し最後に拳銃での対決となります。牧場主はセレックの「俺は拳銃は下手だ」の言葉で対決しあっさりと負け死んで行きます。セレックはライフルと比べて拳銃は下手と言ったとの落ち付の話の映画です。その後鑑賞のケーブルTVの「クロスフアイアー・トレイル」は場所もワイオミング準州の設定でシェーンが下書きのようにこの映画では牧場主の妻に惚れたセレックが彼女を守って牧場を守る話です。単発のスコープ付ボルトアクションライフルを使う黒尽くめの殺し屋「何故かシェーンのジャック・パランスもそうでしたが」も登場し最後はこの殺し屋とセレックが「OKコラル」のように馬を挟んでの対決セレックが撃たれたと見せかけ馬の足越しに殺し屋の足を撃ち、倒れた殺し屋の体に弾を撃ち込む場面など涙ぐましいぐらいに凝っております。今新しい「西部劇」のファンを作ろうと思えば銃も精密なコピーの銃を使いますし難しいと思われますが、この映画でも銃の発射音は昔の音ではありません。案外とこの映画の方が正しい「西部劇」の時代の黒色火薬の音かも知れませんねえ。S&Wスコーフィールドの弾の排莢、装弾のシーンなどは過去の西部劇に無かったような場面を見せてくれます。私たち老人も昔を忘れて新しい見方でこのような新しい「西部劇」の評価をしてみてはいかがでしょうか?     


     7      バッファロー  


「西部劇」の時代に何百万といたバッファローが乱獲のため2000頭たらずになって現代も手厚く管理されていると思っていた私はこのあいだケーブル・テレビの「ヒストリー・チャンネル」で恐ろしいものを見てしまったのです。それはあの乱獲の時代の有名な写真ボタ山のようにバッファローの頭蓋骨のを積み上げその頂上に人が座っているものですがそれよりもシヨッキングな映像の連続でした。「イエロストーン公園」にバッファローは生息しているのですが隣接の州モンタナは今でも牧畜、農業が州の重要産業らしいのです、昔同様牧場主の横暴さは「西部劇」そのものです。ケビン・コスナーの2本の映画「ダンス・ウイズ・ウルブズ」「ワイアット・アープ」のバファロー狩りの場面はどんな風に撮影したのか疑問でした。特に「ワイアット・アープ」などは平原一帯に累々と皮をむかれたバファローの死体がありましたが、当然今も特殊撮影だと思っておりますが考えようによればバッファロー狩りの場面はこのテレビを見て以来簡単なように思われ出したのです。話は戻りますがバッファローは体内にある細菌を持っておりバッファロー自身は免疫が出来ており問題は無いのですがこの菌が牛に入ると病気になるらしいのです。ですから牧場主はバッファローを目の敵にしております。法律も「イエローストーン公園」の敷地を出たバッファローは殺してもよいということになっているそうで「西部劇」の時代よりも遙かに優れた銃で簡単いとも簡単に射殺していくのです。そして皮をとられ肉として使われるのはほんの一部なのです。何百頭単位で殺されておりました。中には囲いに追い込まれ進んでいくと囲いが狭くなり一頭がやっと通れるくらいの幅になりその上に銃を持った射手がおりバッファローの頭に銃口を当てて射殺転がった死体は自動的にスロープを滑り処理場へとまことに恐ろしい場面でありました。モンタナ州としても牧畜に頼るあまりのことでしょうがよくうるさい「愛護協会」が黙っていると感心いたしました。私の頭には騎兵隊に虐殺されていく「ネイティブ・アメリカン」の女、子供がうかんだのでありますがね。  


    6        馬


今でも競馬は時々やっておりますが一番よくやっていた時代はトニー・ビンの娘ノース・フライト嬢が活躍した時代でした。初めて買ったのが東京「府中」の牝馬特別の7700円をかわぎりにオークス、エリザベス女王杯と彼女のレースは常に荒れ、たんびによい思いをさせていただいたものです。私が競馬をやるのは馬が走るからでありますこれは昔から「西部劇」が大好きであつたからです、干支の馬年にあわせてのWWWの「馬」コーナーをみて本来の「西部劇」の馬に戻らなければと思い見た映画の馬を思い出したりいい馬の出ているビデオを見ておりますが、賢い馬はやはり印象にのこっているもので「ダンス・ウィズ・ウルブズ」のUSの烙印の入った馬などはパドックの眼で見てもよい馬であります。「エルドラド」のジョン・ウエインを乗せてバックする馬此の馬たちはやはり名優だったのですね。そして教えていただいた「シェラマドレの決斗」の美しいアパルーサ種というお尻の部分だけが白くそこに黒の斑点のある賢い馬、そしてクーパーの「ダラス」に出ていたリノという名の馬そしてジェイムス・スチュアートの折れた矢の「トム」の乗る顔が白くやはりお尻の部分だけが白く黒い斑点のアパルーサ種の馬、皆美しく賢い馬たちです。そしていろいろと本をあさっているうちに読んだのですが北米には馬は居なかったようなのです。ではなぜ平原インディアンが馬に乗っているかの疑問が湧いたのですが、これもある本で解決、思ってみると五大湖、アパラチア山脈以東のアメリカ独立戦争時代の森林インディアンは映画で見る限り馬には乗っておりません。南北戦争が終わり陸軍が本格的に平原インディアンとの戦争に入り、凛々しい乗馬姿のインディアンの登場になるのですが平原インディアンと馬とのかかわりは、その本によれば17世紀にアメリカ南西部に住むスペイン人の村から逃げだした馬が野生化しそれを南西部のコマンチ族が捕らえ調教し他の平原インディアンに売っていたようです。そして100年平原インディアンのほとんどの部族が馬「神聖な犬」を家畜として飼うようになったのです。このため部族間の争いも騎馬戦が主体となり乗馬の得意な平原インディアンの誕生となります。思えば「西部劇」はコマンチ族のおかげで誕生したのですね。馬に乗らないインディアンであれば軍隊も騎兵は必要なく歩兵と走るインディアンの戦う「西部劇」ですこんなものは見たくありませんものねえ。名画「駅馬車」も無くカスター将軍も戦死する事はなかったのでしょうね。            


     5   私の中のクリント・イーストウッド  


最近ケーブルテレビで「ローハイド」が始まり40年も前のものを見ていいなあと感動しておりますが、当時のテレビ西部劇の中では一番大人のストーリーですね。もちろんイースドウッドもロディ役で出ておりますが、イースドウッドという俳優は私の中では少し別の場所に住んでいるのですがこれは何なんだろうと考えてみました。ジョン・ウエイン、スティーブ・マックイーンではないのです。もちろんロディは大好きであります。そこで考えてみた結果、あまりにもロディの印象が強すぎて後の映画を見るときにのめり込めない。事実かれの「ローハイド」の契約の中には6年間他の番組、コマーシャルに出ないという内容があったそうですから、そして強烈な印象を持たすダーティ・ハリーのシリース゛。そして劇場映画の登場がマカロニ・ウエスタンであったことなのかなあ。私は初期のマカロニは嫌いでは有りません。たとえばかれの「荒野の用心棒」ジュンマの「荒野の1$銀貨」等は大好きなのですがその後、続々と出てきた映画はロケ地はスペイン丸出し悪党はぜんぶメキシコ人風、女と見れば犯す事しか考えない、そして必要以上の残虐性このせいで彼の西部劇も同じように考えあまり見ていなかったのですが、最近イーストウッドの映画人生の本に接し彼の作品は純粋にイタリアの金で作られたのは「荒野の用心棒」ぐらいで2作めからはアメリカのスポンサーも付きアメリカ映画といってもいい物のようです。そこで今一度彼の主演作のビデオを借りあさり見ることにしました。以前から「アウトロー」は大好きで今までの西部劇と違い銃器に非常にこだわっているところなど私好みです。「夕日のガンマン」のリー・バン・クリーフの銃器の百貨店のような馬に付いた装具笑ってしまうほどうれしくなります。今のところ半分くらいしかみていませんが彼が力をいれた作品「許されざる者」これは少しがっかりしましたけれど、なぜなら昔アウトローでならした人が馬にも乗れなくなるものでしょうか?それと娼婦の顔に傷を付けた若いカウボーイを狩りのようにライフルで撃つ絶対彼には似合いません。こんなことで今から「奴らを高く吊るせ」「シノーラ」と見なければ、そして最後にもう一度「アウトロー」をみればジョン・ウエインの近所に並んでくれると思います。マカロニ・ファンの方々お許し下さい。私はあれを西部劇には入れたくないのです。「シノーラ」「奴らを高く吊せ」を見た結果映画は「奴らを高く吊せ」の方が古いようですがこの映画は本当に気持ちがホッといたしました全く見慣れた西部劇であったのです。そして非常に良くできた映画でもありました。やはり彼は最後の西部劇の名優であった事を理解いたしました。      


     4   大いなる西部劇 


ある朝忙しい朝食を食べながら癖の新聞を見ていると広告欄に左の本の広告が眼についた。西部劇か、こんな本がでるのは何年ぶりだろう?ということで早速本屋へ著者は逢坂剛さんと川本三郎さんのお二人です。残念ながらどちらの方の本も読んだことがありません。老眼が進み字を読むと言う作業がつらくなり読書もしなくなったなあと思いつつ読ませていただきました。前半が逢坂さん真ん中がお二人の対談後半が川本さんが文を書かれておりました。年齢を見るとどちらも丁度私と同年代。同じなんだなあと笑ってしまいました。しかし人間それぞれ個性ですかねジョン・ウエインと騎兵隊物がお嫌いなご様子私などジョン・フォート゛監督の騎兵隊ものはムードだけでのめり込みますけどね。そして不思議なのは私はメンコの上でしか見たことのないランドルフ・スコットの映画をお二人が同等に見られていると言うことでした。この方の映画を現役で見ている方達は昭和10年から15年くらいの方だと思う私なのですがね。ちょうど私たちが高校生のころTVも映画も西部劇がいっぱいでした。封切館で『ワーロック』を見た後場末の映画館まで電車で出かけ見てなかった『大いなる西部』を見る言うような日曜日でした。とりわけTVの『拳銃無宿』それまでも映画にもちょっとした役で出ていたスティーブ・マックィーンが主演の映画にはまってしまい土曜日の7時半にはかならずテレビの前でした。彼はそれから『荒野の7人』でアッというまに大スターへやがてイタリア製映画つまりマカロニウエスタンが横行『ローハイド』のロディ君クリント・イーストウッドそして悪役の常に一番に殺されるリーバン・クリーフなどが有名になり里帰り。そして長い間西部劇と言う言葉も無くなってしまいました。クリント・イーストウッドが唯一頑張っていたくらいでしょうか。そして今ホームページなどというものを生意気にも作りあちこち覗くうち西部劇のW・W・Wを知り沢山の同好の方がいることを知り再び西部劇が私の心を奪ってしまったのです。古い見た映画もよほど気に入った映画でないかぎり忘れてしまっておりますので近辺の町のビデオ屋4軒かけもちで見たいビデオを捜す毎日になってしまいました。  

     3   まるで西部劇


さてウインチェスターM94を手に入れた私は毎日テレビの小道具室から手に入れたテンガロンハットそして弾帯はモデルガン用の本革のベルト、ホルスター部分を改造し小型の鉈のケースにし、モデルガン用では実包が抜け落ちるので10発用の30−30のケースを取り付けズボンはGパンうえは鹿皮のバックスキンのジャンパー靴は警察の機動隊用の革靴と完全にカウボーイでありました。ただ銃をジョン・ウエインのように右手だけで下げると引きずりそうになるのが哀れではありましたが。山の子供達からはカウボーイのおっちゃんとよばれておりました。さて初の獲物ですが大変でした。通常猟では勢子の合図の銃声そして待ち場では1発か2発の銃声で終わるのですがこの時は山の頂上付近に私が待ち200米ほど下に友人ボルトアクションの30−30のウインチェスターをもったのが待っておりました。やがて犬が鳴き例の鹿独特の飛ぶ足音が聞こえ雑木林から雄鹿が出てきました。そのままで待てば私の待ち場にやってくるのですが友人は名射手なのです戦争であればまず狙撃兵に引き抜きというところです。その前の週にも谷の向こう側を横切る鹿を2発撃ち2発命中させております。その彼が射程は有りましたが撃ち始めたのです。着弾が鹿の間近で土煙をあげます。1発2発3発私は2発までは我慢が出来たのですが着弾があまりにも近いのでついに私も撃ち始めてしまったのです。結局友人は弾倉内全弾5発私が2発そして待ち場に近くなって脚がとまったところで私の3発目が命中しました。獲物を友人と2人で担ぎおろした時に長老からお言葉「なんや、一頭かいな、弾の音西部劇みたいにしょったで」と言われ2人で赤面合計8発の弾を撃ったのですからねえ。この1年後のことでした場所はここよりも北へほとんど中国山脈の真ん中の岩場での出来事でした。谷の一番奥に犬を入れるので谷の入り口で5人ずつで両側の尾根に上りそこを谷の奥へ歩いておりました。ライフルの者は弾倉には弾を入れていたのですが待ち場に着く少し前の事でした。犬が突然谷の一番奥へはいっていったとたんに鹿がそこで会議でもしていたのでしょうか20頭前後の頭数の鹿が突然飛び出したのです。さすが沈着な長老もこの時だけはあわてました。そこの谷はお互い両側の山から手前の見通しが悪くお互いが向こう側を横切る鹿を撃つことになり谷をはさんでまるで人間同士の撃ち合いようになりまさに西部劇です。20頭が走ると照準がつけにくく私はアッという間に5発撃ちつくしポケットに入れていた3発を込めて8発撃つのがやっとでした。嵐のような時が過ぎて半矢になった鹿を探し結局4頭をしとめたのですが誰の弾が当たったのかは不明でした。射程距離からライフルの弾には間違いがないでしょうがね。しかし誰か無関係の人がこの光景と銃声を聞けば戦争かと思ったでしょうね                


     2      鹿狩りの頃余談


もう少しこの頃のはなしを書いてみようと思います。銃はやはり危険なものであります初めての年のことでした11月1日解禁日の朝一番猟犬を持たない友人と私のふたりで前から雉をたくさん見かけていた場所へ出かけ私が友人の前2米ばかりを歩き通称踏みだしといって草原を足で蹴りながら歩き雉を飛び立たせるのですが、突然私の足下からきれいな雄がバタバタと飛び立ったのです瞬間私は銃を構えたのですが後ろの友人も撃つと思い前に伏せました案の定ドーンと銃声左の耳元を音と熱い風が通り過ぎました。雉はみごとに落ちたのです。友人の最初の獲物でしたが間違えれば彼の最初の獲物は人間になっていたかもしれませんでした。おお神様
次の話は笑いごとでは無い話です。山の人たちは結構大胆でありまして通常は移動中には弾は抜いているのですが抜いていなかったばっかりに起きた事故です。木馬道(きんまと読みます。昔材木を出すのに使った道具で木ぞりの大きなものに材木を積みレール代わりに樫の丸木を道に埋め込みそれに滑りよくするために油を塗ってありました。)の下り道で事件は起きました。前述の友人、大阪からの方その他全員6名でした銃を下向きに肩から下げていた山の人が樫のレールの油で滑り尻餅をついた瞬間暴発です。鹿用の6個弾でしたはじめに筒先から2個ほど弾が転がりでた後でした。中の1個が樫の木で跳ね大阪の方の左胸そして鼻先を傷つけました。そして暴発さした方はワーと叫び走り去ってしまいました。長老は私たち若者二人にここを頼むと言い残しみんなを連れて行ってしまいました残された私たちはどうするのでしょうねえ。よく観察すると撃たれた方からは左胸にもかかわらず血が一滴も出ていません。でも本人は遺言を私に託すのです。妻には…息子には…と私はすみませんと言い胸をあけさせてもらいました肋骨の上が赤く腫れ上がっていますが弾の入った形跡はありません。樫の木で跳ねた弾は肋骨の丸みでまた跳ね鼻を傷つけて飛んでいったのです。まさに奇跡でありました。が本人は何度説明しても遺言を続けております。そして長老が暴発の本人を捜し帰ってきました。なぜ現場は私たちだけにした理由をきくと、『人間二人も殺すわけにいかんやろ』とのお言葉さすがです暴発事故の場合殺してしまったと思いこみ自殺される方があるのです。それでそちらを優先させたのでした。今でこそ笑えますが遺言を言い続けた人の気持ちもわかります。このあいだ懐かしくなって訪れると昔から杉の木立の下にシャガの花が生えておりましたが大々的にシャガの里と銘打ち沢山のかたが白い美しいシャガの花の群生を楽しんでおられました。                                


     1        初めての銃


H&R・M158単発銃右は中折れの状態、銃身は左30−30右は20ゲージ・ショットガン銃身

エアー・ライフル仲間3人で銃所持の年齢に達し狩猟をしょうと地元の猟友会の知り合いの役員のところに相談に行ったのは30数年前のことでした。鹿、猪の猟は通常勢子の方が犬を飼い山に入り待ち場に待つ人間が5人から10人ぐらいでグループが構成されておりました。前からの知り合いであったのでその役員さんのグループに入れていただくことになりいよいよ銃を買う事となりました。一人の友人は余裕も有り鳥用として上下2連の12ゲージと鹿用としてウインチェスターのボルトアクションの30−06のライフルを買い、もう一人は水平2連の中古品を買った。ショットガンは弾さえ換えれば鳥、鹿とどちらでも使えるのです。私はどうしても鹿はライフルでと思っていましたので考えた末に決まったのが上の銃でした。ハーリントン&リチャードソン調べてみると金曜日にチンピラが持つ安物の拳銃メーカーですが第2次大戦の時はM1ガーランドも作ったらしいということで決めたのです。今古本で調べると118.5米ドルです当時360円でしたから43、000円ほどですね。この銃は単発で不思議なことに銃身が2本付いているのです。M158モデルでしたからライフルが30−30でショットガンのゲージが20ゲージでした。私は猟に行くときは替え銃身1本と弾帯は20ゲージのものに30−30が10発挿せるケースを縫い付けたものを携帯しておりました。ショツトガンで使用していた時は何の問題も無く初猟で真鴨の雄を一羽獲物としました。しかし問題はライフルに有ったのです。射撃練習中には問題無かったのですが肝心の初めての鹿狩りの時におぞましい事が起きてしまったのです。3人初めてでしたので一番良い待ち場で待たせてもらったのです。やがて犬が鳴き、鹿独特の歩幅の有るジャンプの時の足音が近づき「鹿は脚に自信があるので犬が付くと広い場所へと逃げます」目の前20米くらいのところへ現れブッシュから出た場所で立ち止まっております。まず練習では外す事のない距離です私はゆっくりと照準を合わせ引き金を引いたのです。倒れた鹿を見るだけのところが鹿は後ろ足で立ち上がり走り出しました。私は鹿が走っているのに驚きました。まさかあの距離で外れるとは。我に返り左指に挟んでいた次弾を装填しようと撃鉄右にあるレバーを押しましたが銃は中折れしません。やがて鹿はブッシュの中へ消えていきました。そしてその時です間抜けな銃は中折れし、ピーンときれいな音を立て薬莢が空中を舞いました。先輩達からは笑われるし散々な思いでありました。この時からです操作の確かな銃と言うことで早速この間抜けな銃を下取りに出し獲物も、鹿、猪にしぼりウインチェスターM94に買い換えたのでありました。丁度アメリカ建国200年記念のモデル、機関部が真鍮で銃身が八角のモデル、イエロー・ボーイが出ていた年のことでありました。